駄文の遊び場

発達障害についてと書き殴り

検査入院最終日

長らく放置してしまった。

 

入院生活最終日について書こうと思う。

 

姉と母が病院に来てくれて、院内のレストランで昼食を取った。

あとは結果を聞くだけとなり、私一人で一旦病室に引き上げたのだったが、病棟に戻ると隣室の入院患者の具合が悪くなったということで、静かなフロアが慌ただしくなっていた。

ストレッチャーを運ぶ看護師さん、バタバタ走り回る医師を見て、何故か私もショックを受けて調子を崩した。

 

病室の皆が心配してくれた。

看護師さんを呼んできてくれる人もいた。

看護師さんから、当該者の方は単に起立性低血圧だったと言われてホッとした。

 

しかし、説明をしてくれる心理士さんが迎えに来てくれた時もベッドに横たわったままだった。

ボディブローを精神に受けた感じ。

 

ヨロヨロしながら階下に降りると、プロジェクターが用意され、大きなスクリーンに説明が映し出されていた。部屋にはこの検査入院で関わった精神科病棟の医師、発達障害をメインに診療する医師、心理士、学生さんなどが座っていた。

 

 

まずは心理士さんから、これまでの心理検査についての結果を説明された。

IQが少し上がっていたことに驚いた。二回目だからだろうか。

そのIQに比して何かが低いと言われた。

↑案の定聞いていないし、検査結果の用紙を見ても分からない。

 

 

IQの数値はボチボチだったが、中身の説明で愕然とした。

 

「本質を理解することが苦手だが、単純作業なら普通の人より出来る。

しかし、長時間だったり疲れたりするとミスをしやすいので休憩が必要」

 

休憩時間に母とも話したが、

「IQの数値が良くても頭悪いってことよな?」

 

なので休憩後に訊いてみたところ、

「いろいろな情報を的確に処理するのが苦手なだけであって、知性とは別です」

と言われた…が、

やっぱりアホってことやないか~い!

と思っている。

 

正直、IQって嘘じゃない?と思う。

私のIQは数字的には普通にお勉強が出来そうな数値だと思う。

でも私は全く勉強が出来なかった。一夜漬けが限界で、理解力がないので折角勉強とやらをしてもあとに残る記憶は全くない。良くて単語のみである。

興味がないものは全く頭に入らないし、興味があって何度も何度も繰り返し覚えたものですら頭に残らない。

会話も覚えていない。

何だったら発作や自傷などの困りごとも思い出せない。

発達障害の本もバカみたいに繰り返し読んでいるが全然理解していない。

それなのに全ての数値は100(平均)以上である。

 

IQって一体何なんだろう。

数値は低かろうが私より頭良い人なんてザラにいるだろうなと本気で思う。

 

 

 

話がずれた。

 

そして心理士さんから医師にバトンタッチして告げられた診断名は、

ASD

ADHD

強迫性障害

だった。

 

今までと何ら変わりない(いや、セカンドオピニオンではASDしか言われていない)。

 

 

「私が演技しているのではないか?」

「こんなに病棟で友達を作って楽しくおしゃべりできているのに?」

「周囲に発達障害に見えないと言って否定されるのはどうしたら?」

という問いに対して、

 

「人間の特性は演技できるものではない」

「短い入院生活では判断できない」

「一般人とは根本的な視点が違う。医療的な基準によると当てはまっている」

と答えてくれた。

 

また、心理士とのカウンセリングを勧めてくれ、主治医にもそう書いてくれると言ってくれた。

 

 

そして退院。

病棟で仲良くなった皆とハグをしたり握手したり、泣いて貰ったり、荷物を院内の郵便局まで運んで貰ったり…。

最後に一枚だけ写真をお願いした。

本当はダメなんだけど。

良い二週間だった。東京に友達が出来た。

 

 

 

ということで本当に行って良かった。

良い病院だったし、良い看護師さんばかりで、お医者さんや心理士さんも丁寧な人ばかりだった。

よく勉強をしている方ばかりで本当に有り難かった。

なので、これからはちゃんと発達障害者として、何が得意で苦手なのかを理解して人に迷惑を掛けないよう生きていかなければいけないと心から思った。

入院8日目

入院8日目。

 

母が病院に来る。

私も母と一緒に連れられて最後の検査に臨む。

 

検査終了後、大丸に行ってお土産を購入。

父があぶれているので沢山お土産を買わなければならない。

湯島の郵便局でお土産を送る。

 

姉、首都高速の渋滞により、うなぎに間に合わず。

折り詰めにしてもらう。

 

湯島駅そばの「小福」。

今までうなぎ好きの父と一緒に関西のうなぎを食べ歩いて来た私だが、大阪の「魚伊」と同じで、口に含んだ瞬間のその旨味たるや。うざくの酢が利いているのも非常に良い。

 

店の前で何とか姉に会うも、外出時間を少し過ぎていたため、病棟から電話が掛かってくる。とにかく走って病院に帰る。

 

やはり怒られた‥‥。

申し訳ございません‥‥。

 

明日は結果だ。

恐ろしく怖い。

 

入院7日目

入院7日目。

日曜日。

午後2時30分、母親を迎えに東京駅に迎えに行く。

湯島のホテルに向かうものの、湯島駅についてからタクシーを拾うと駅から徒歩4分の筈なのだが、随分迷ってくれた。

 

ホテルに着いてから神田に蕎麦を食べに湯島駅を目指すとバカみたいに近かった。はなから歩けば良かったのだ。

 

お茶の水駅を出たところに成城石井があり、母のテンションが上がる。

 

明日は最後の検査だ。

その上、午後、最終日に行われる検査結果を聞きに姉まで上京する。

入院6日目

入院6日目。

土曜日のため、検査は無し。

みんな、それぞれ外泊したり、外出したりと思い思いに過ごすようだ。

 

私も今日はお昼を食べた後に外出する。

その前に同室の2人とジェンガをしたし、塗り絵も始めた。

 

そして午後、会社の先輩後輩にスペシャルなお土産を求めに行った。

 

 

またも時間がギリギリになってしまったので、病棟に連絡を入れる。快諾して下さり、何とか走ってシャワーの予約時間にようやく間に合ったのだった。

 

あぶないあぶない。

 

入院5日目

入院5日目。

金曜日、

午前午後ともに検査。

 

友達たちと、もうすぐお別れ。

そういう寂しい話が多くなる。

大部屋の住人と本当に仲良くなったと思う。

皆が私のベッドのある窓際に腰を下ろして、お喋りするということが増えた。

 

検査が終わると大分疲れる。

会社に戻って、ちゃんと仕事が出来るだろうか。

 

また、私はどう診断されるだろう。

明日明後日は土日。日曜には母が来て、月曜に聞き取りが行われる。

非常に不安である。

 

鬱病と言われるかな、と何となく思っている。

だって、こんなに皆と仲良くなった姿を見せつけているのだから。

社会性というかコミュニケーションスキルが高いことで、ASDは診断されないような気がする。

入院4日目

入院4日目。

 

木曜日。

寝不足である。

大部屋に新しく入った患者の影響で、上手く強迫がこなせないからだ。

強迫さえなければ、睡眠薬を飲んで眠ってしまえば良いのだ。

が、日々のルールをこなさなければどうしたって上手く眠れないものだ。

 

それなのにこの検査か!

という検査を午前中に受けた。

しくじった。

 

午後の検査まで時間があったので、こっそりこそこそ冒険してみる。

 

午後にも検査があった。

緊張してしまうなあ。

 

入院3日目

入院3日目。

 

今日の検査は午前中だけだったので、午後は外出届を出して中学時代の友達に会いに行く。

 

その前に動き足りないので、1階に降りて外来棟入院棟をぐるりと20周歩いた。

本当は1時間で100周を目指したのだが、1時間半も掛かってようやく20周だったし、股関節が痛い。

 

途中で同室の友達2人に出くわすものの、20周するまで病棟に帰ってはいけないルールになってしまったので遅れて戻ったら、看護師さんに怒られた。

 

中学の友達は、数少ない中高時代の遺物だ。暗黒の中高時代で唯一残った大切な友達である。

以前に電話をした時、丁度発達障害の診断を受けて悩んでいた時だった。

その際、彼女の仲の良い同級生と連絡がつかずに心配しているという話をされた。

私はその同級生のことが非常に好きではなかったので、別にどうでも良かったのだった。

しかし、今回、上記の話について訊いてみると、どうも死んでしまったということだった。ソイツは私と同じ誕生日だった(だから血液型占いを信じるようになった)。そして、今私が入院している病院が所属する大学に進んだと聞いていた。

 

私はこの自分発見の旅を思い出す度に、紐付けされてしまったその同級生のことを思い出すんだろうな。

 

後輩と専務にジャイアンツグッズを購入。