駄文の遊び場

発達障害についてと書き殴り

自分ってどんな本?

精神科に通院している人で、今までは別の診断名だったけど実は発達障害だったというパターンが多いようだが(それで信じられるなら救われる筈だ)、その逆は果たしてどうなのだろうか?


自分は発達障害者だとしても、所謂ステレオタイプではないので、周囲から当事者だと見られることはまず無いし、多くの発達障害者のように素直に認めたり、開き直ったりすることが出来ずにいる。


最近では、あまりにも人にそう見られないことがしんどすぎて無理に「発達障害者」になろうとしている自分を感じている。

ADHDASDと診断(医者的にはグレーなのかも知れないが。というかそもそもグレーの基準もあやふやなのでは)されているし、セカンドオピニオン先でもADOSやPARSを受けた結果、「ASDが強く示唆される」と出た。


二院とも県下では発達障害に詳しいとされている(ちなみに精神科領域は知らないが、私の住んでいる県は地方にしてはかなり医療に強い方だと思う)。

また、セカンドオピニオンの検査を担当してくれた心理士の方は県の発達障害者支援センターの元所長であり、県下随一の有識者であると聞いた。


でも仕事も出来るし、どんなに辛くても休まない。生き辛くても努力して何とかやってきた。そうやって自分のコンプレックスや人生を乗り越えてきた筈なのに、「二次障害」のせいで今更発達障害と診断されて戸惑うし、周囲からそう見られないことに負担を感じてしまう。

もうすぐ、診断されて3年が経つ。

毎日毎日、「定型発達者」と「普通の発達障害者」と「普通の精神障害者」とそれに当てはまらない自分を比較する。

苦しくて堪らない。


自分の存在が分からなくて混乱し、その結果自傷発作に繋がることもある。

発達障害ブームの昨今、

困りごとの多い人たちが「私は発達障害なのでは」との疑念を持ち、自発的に精神科に訪れることが多いようだが、その場合、当てはまる人には主治医は素直に診断を下すらしい。

しかし、発達障害が根底にあると思われるものの発達障害の直接的な病理が見受けられない患者には積極的に診断は付けないと言っていた。

私は発達障害の診断を求めて診察を受けた訳では無かったが、自傷がある為、発達障害があることを明確に理解させるべく発達障害の診断を付けたらしい。


なるほど。


だが、発達障害を受容出来ずに自傷してしまうので本末転倒というか何というか、お粗末な結果である。


人間は単純なくせに何枚も何枚もページがあって、題名から予想するには難しい。最後まで捲らないといけないから結局は中身が面白くなければ読み進めて貰えない。


つまり、私は発達障害者なのか?捲ったページの先に別の犯人が、いはしないだろうか?

「個性」という表題を差し替えて「発達障害」として再版しつつあるのを、もう一度読み直して欲しい。だが、私は私の書き方で全てが変わるのを知っている。正しく読める読者に私を越えてもらいたい。