死にたい
うーん。
何て強烈なタイトル…。
まあいいや
表題のように、私は毎日死を考えている。
死が怖い。
だから強迫性障害もある。
死に怯えて毎日生きる。
なのに死にたいって矛盾しているような気がするね。
確かに鬱状態(主治医には鬱ではないと言われる)にはよくなる。
抑うつというのかよく分からないが、毎日死にたいし、何にもやりたいことがないし、何にもできなくなる。ただただ、涙が出てくるようなしんどい状態が続く。思考を止めて欲しい。
そういう「死にたい」ではないんだよな。
もうずっと生きるのが面倒くさい。
親が大好きだ。でも親は高齢(私は母が37の時の子供だ)で、いつも同級生の親と比べて比べられてきた。
他人を愛せない。他人なんかどうでもいい。
他人は私の家族じゃない。
学生時代、好きな人が出来て付き合ったけど迷惑しかかけなかった。振り回して傷付けて別れた。
それ以来、他人に迷惑を掛けてしまうので付き合うのはやめた。
結婚したら、相手の親や親類までにも迷惑を掛ける。
自分に似た子供が出来たら苦しむことになって可哀想だから、子供も諦めた。
人様は生きる価値のある大切な存在だと思う。
死にたいと言う人の多くは、何か出来事があったり、上手くいかなかったりして希望を失っている状態だ。
でも、裏を返せばその欲がある。
その欲がある人は、死ななくても良いのではないか。
私は違う。
上手くいっていても根底に死にたいがある。
虚しい、
生きていても今日よりいい日はない、
家族が老いる毎日が怖い
生きている中で、楽しいことや面白いこと、笑い合うことが沢山ある。私は友人や職場に恵まれている。
毎日、死にたい。
死へ向かう時間と感覚にどれくらいのズレがあるのだろうか。
その感覚が永遠である場合、我々は常に死に続けて終わりがない。悪魔の論理学とでも言うのかよく知らないが。
肉体の死と感覚の死にズレが生じるかどうかは死ななければ分からないじゃないか。
死への旅は冒険の一種なんだろう。
苦しみが続かないように、私は死者を思う。
それは結局、古来よりの悼み方と同じで、死に関する情報が何にも明らかになっていないことが分かる。
まだまだ世界は終わらないだろう。地球はゲームを続けるし、歴史は発展してこち亀並に巻数を伸ばす。