駄文の遊び場

発達障害についてと書き殴り

困りごと①

そういえば、私は発達障害者ではないのでは?と悩んでいるものの、自分の困りごとについてはあまり書いてはいなかった。


誰も見ていないとは思いますが、自分のために振り返っておきます。


強迫性障害


元々は多分そんなに大したことはなかったように思う。始まったのも高校生くらいからか?

カトリック系大学の付属幼稚園及び付属小学校に通った。宗教の時間があり、私は宗教が好きな子どもだった。


物への思い入れが人より強いようで、生きているものと同じように考える部分がある。

宗教の時間にシスターから聞くイエス様やマリア様、神様の話はまるで寝物語のように身近だった。毎朝欠かさず行うマリア像への挨拶に関しても何も疑問に思ったことはない。


小学校の卒業文集でも、好きな場所について「神社・教会・お寺」と書いた。


幼稚園卒園のお祝いで貰った素焼きの白い小さなマリア像に、最初は「親が離婚しませんように」「家族が離れ離れになりませんように」と可愛らしい手紙を書いて添えていただけだった。そのうち自分だけではどうにもならないことがどんどん増えて、己の無力さが分かり始めた頃、夜寝る前に手を合わせるようになった。


お祈りをしないと寝てはいけない。布団に入ってはいけない。友人との旅行先では、風呂場や寝たふりをしながら祈る。


お祈りの順序は決まっている。

夜のお祈りの一番初めはマリア様に。

お祈りの文言は決まっていて、その中で心臓の音を4回確かめること、ある芸能人の顔を3人思い浮かべること、ある漫画のキャラクターを7人思い浮かべること、締めは目の中の光を左右の両目で4回感じ取れるほどの瞬きをしながらお辞儀をして、また心臓の音を4回確かめる。一つのフレーズ中に邪魔が入るとフレーズの初めからやり直す。


二番目のお祈りは神棚に。

ここでのお祈りの文言はマリア様の文言とは違って少し短い。短いけれど、例えば我が家の前の道路に車が通ったら一番最初からやり直しをしなければならない。


三番目のお祈りは祖父母の写真に。

二番目の文言とほぼ同じ。ここでも短い分、車が通ったり、自分が悪いことを考えてしまったら何度もやり直さなければいけない。



正直、めんどくさい。


だから寝る準備が出来ても面倒くさくて、ゴロゴロしてしまう。するとうたた寝をし出して、半端な覚醒を繰り返した結果、四時くらいに起きてお祈りをし出す。その時間帯では、新聞配達のバイクの音に邪魔をされるので、数回やり直してからようやく布団に入ることができる。

そういうわけで慢性的な寝不足である。


朝は朝でお祈りをする。

朝は神棚とマリア様をまとめて。

お祈りが成功した後は自分の部屋に入ってはいけない。入ったら又お祈りをしなければいけない。

次に祖父母にお祈りをする。


朝は頭がイカれそうになる。

車が通る度に最初からやり直し!!しかも住宅街だから通勤時間は交通量が多い。更に通学路なので中学生がうるさい。

車が通っているかどうかの音も曖昧になるから、やり直しが多くなる。

母がウロウロしてもやり直さなければならない。こういったイカれた作業は人に見られたくないものだ。たまに怒鳴ってしまうこともある。



基本的に死が怖い。

なので、通りたくない道がある。葬儀場の横を通る時は息を止める。ちなみにその道はやたら混む。信号で捕まったら死にそうになる。チャリ通の時も息を止めていたが、漕げる分まだ楽だった。しかし、必ず脈は飛んでいた。


神社の鳥居があればまた、決まった挨拶をする。もし、同じ道を通らずに帰り、帰りの挨拶が出来なかったら、遠回りして挨拶をして帰る。朝に「今日は飲み会なのでこの道を通りません」と文言中に言っていたらOK。


同じく川を渡る時に、決まった挨拶をする。この川を渡った後は、数十メートルの間中にまた別の文言を唱えなければいけない。電車でも車でもチャリでも変わらずに行う。


会社ではあまり出さないように努めているが、触ったらダメなものがある。触ったら手を洗わなければいけない。シュレッダーもファイルを入れている棚も、鍵も、触った後には手を洗う。ダメな人もいて、その人から触られたら手を洗う。会議中に触りたくない席も勿論ある。

渡した書類を先輩が地面に落とした時には、除菌ウェットティッシュで拭かせたこともある。


嫌なことを考えてしまったり、手がその文字に触れてしまったら、決まった文言を唱えたり、手を洗いに行く。

最近ではカラオケで一曲歌う毎に決まった文言を言わなければならない。トイレに行っても同じ。トイレの時は4回繰り返さなければいけない。


洗面所で石鹸で手を洗う際は、水で流す時に手が蛇口に当たってしまったら、又最初から石鹸で洗わなければならない。

風で乾かす機械があるけれど、その中に手を突っ込んで、そろりと上手く機械に手が当たらずに抜けたら成功。当たったら石鹸で洗い直し。


キチガイか!と思う。


土曜は離婚している両親の家二軒を午前中に掃除しなくてはいけない。出来なかったらイライラする。朝寝坊など出来る余地はない。掃除するのにもルールがあって、全ての順番は決まっている。


性行為もしたことがない。

そのような「事件」を選択してしまったら、昨日まで決まっていた明日ではなくなるかも知れない。その明日は昨日より良い明日の可能性だってあるが、悪い明日の可能性もある。生きてこれた昨日までが今日の選択次第で生きていけない明日に変更してしまうかも知れない。


馬鹿らしいとは思う。

でも変えるのは難しい。


これら強迫行為は、ASDのこだわりの強さから出ているそうだ。ASDの人はOCDの併発が多いらしい。


それはそうと、このブログは何もいじってないのに意味ありげに勝手に文字を大きく目立たせるから困る。バグ?


私こそがバグってるのは知ってるもんねー。