駄文の遊び場

発達障害についてと書き殴り

データとしての自分のこと

どんな子どもだった?


発達障害はその診断材料に、「幼少期から症状はあったか」という問いがある。


故に、母子手帳や通知表などの客観的資料が必要である。思い込みで物事を語る親は、しばしば客観性に欠ける。


発達障害を疑っている人の中には、親との縁が切れたり、過去の荷物を整理してしまったりする人も多い。


まずは思いつく限りの自分のデータを整理しよう。書き出すだけでも自分の理解が進む。


私が三年前に発達障害の可能性があると主治医に言われてからすぐに取り掛かったことが生育表の作成だった。

発達障害の特性が自分とどう結びつくのか、積極的に抜き出してみたのだ。


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こんな感じ。


何せ、発達障害ブームの今でこそ「発達障害者はさまざまな特性を持ち、見た目にもそう見えない人もいる」ということが伝播されているが、私が介護実習の単位を取った10年前はそうではなかった。


実習先では、

多動が酷すぎて太れずガリガリに痩せた児童、暴れる為にタマを抜かれて女性化した自閉症の男性と接していたものだから。


教育学部に所属したことは無いものの教育には興味があった。担任に恵まれた小学生時代、成績も悪く見捨てられて問題児化した中高生時代を経て、理想的な教育を考えることが多くなった。


人から愛されていることを知り、自分の人生を諦めずに生きていける人間を育てたかった。自分のような人間を増やしたくなかった。子どもの可能性を伸ばしてあげられる立派な大人になりたかった。


一人一人をフォローアップする為には少人数制の採用が望ましい。

だから障害児教育が向いていると思って休日もボランティアに参加したし、最終的に7つの教免を取った。


そういう側の人間だった筈なのに。


教育実習で教師に向いてないことが分かり、方向転換して別分野に就職した。

その後、発達障害と診断を受けた。

子どもに悪影響を与えてしまう可能性があるなら教師にならなくて良かったと今では思う(そもそも出来が悪かったので教師にはなれなかっただろうが)。




というか、

教育実習中に彫刻刀が指に刺さって流血、教頭の車で病院に運ばれる奴が何を偉そうに教育を語ってんだ


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このように自分史は自分の理解に役立ちます。


ちなみに教育実習の成績は可でした。