また言われた
「発達障害に見えないのだから仕方がない」
また、職場の先輩に言われた。
じゃあ私は何なのだろうか。
発達障害って何?
能力の凹凸が大きいこと?
だったら私はそうじゃない。
皆、競うように自分の群指数の差を発表し、如何に自分が「できなくて仕方がない」人間であるかを「卑下」しながら「自慢」する。
私の群指数に差などない。
知識が15で、低いとされる類似と配列でも一応平均である10だ。
処理速度は116で一番高く、作動記憶は107。
差はたったの9しかない。
発達障害界隈では、自分が如何に出来ないかでマウントをとる。
その世界で私は弱者にしか過ぎない。
私は何故、能力差も無いのにASDであり、ADHDだと診断をされたのか。
私は何故、自分が如何に出来ない人間なのかを主張しに診察室に入った訳ではないのに、この診断を受けたのだろうか。
私のこの悩みを、
マウントを取りたいゴリラたちはこう言い放つだろう。
「良いじゃないか。障害がなくて」
「どれだけ出来なくて苦しいか分からなくて幸せですね」
分かる訳がない。
出来る人間と出来ない人間の相互理解は難しいだろう。
知的障害や身体障害のように目や数字で見て分かるものなら兎も角、見た目では分からないとなると感情的にも感覚的にも否定したくなるのは至極当然のこと。
尚更、自分が診断されたなら。
発達障害者だと(医者にしか言われてないが)言われる私でさえ、
同じ発達障害者なんて理解できない。
人から発達障害に見えないと言われても、自分はそう診断されたのだからそうなのだ、何が何でも絶対そうなのだ!と居直れる人も多いように感じる。
その強さが羨ましい…。