駄文の遊び場

発達障害についてと書き殴り

困りごと②

さて、困りごとの続き。


中学生の時、「いじめ」にあった。

幼少期から友人や集団の中でのトラブルは色々と乗り越えてきたと思ったが、所詮、子どもレベルのものだったらしい。


中学受験をして(当時は)自慢できるような中高一貫校に入り、愉快に思っていたのも束の間、


今まで通り、お調子者としてグループに所属しようとしたものの、一番初めのスケープゴートにされてしまった。


小学校高学年の時には本当にクラスの中心人物であった為、その落差たるや如何ほどのものか。

実は何をされたか、何も覚えていない。

大したことはされていない(無視くらいのレベル)、時期も短かったと思うのだが、あまりにもその落差がショックだった。


気付けば、

理科棟の外壁に頭を打ち付けていた。


理科棟の側に保健室があったので、通り掛かった保健医に止められたのをうっすら覚えている。


これがパニック的な自傷の始まりだと考える。


高1の時、教室に入ると親友2人が私の悪口を言い合っていた。教室に入りかけの私と目が合う2人だったが、もうバレたのだからいいやとばかりに、私が席についた後も私がいないように悪口を続けた。

血が出るほど指に爪を立てて何とか堪えた。


これは意識的な自傷の中で一番記憶に残っているものだ。今でも傷痕を見る度にその日のことを思い出す。


お陰で本心から人を信用したことはない。皆、裏では何を言っているか分からない。

そういうものだと思う。

誰も彼も、芯よりの信頼関係を望むのにお互いに相手を裏切るのだから仕方がない。大体の人がハリネズミである。


話が逸れたが、

精神科へ真面目に掛かろうと思った困りごとの一つが「自傷」であった。


私の自傷癖は上記のように2つに分けられると考えている。思春期の女子かよ!という「ワザと」のものと、コントロール出来ないパニック性のものと。


意識下でわざわざ剣先などの道具を使うものに関しては更に、


「分かってくれ!」

「これだけやったら理解できるだろ!?」

という対人関係における気持ちの押し付けから及ぶ行為、


「この感情からどうにか逃げなければ!」

というように精神的苦痛を身体的苦痛に置き換えるショック療法のような代替的行為


の2つに分けられる。




コントロールの難しい自傷に関しては、発達障害が上手く受容できない自分でも、自閉傾向を強く感じてしまう内容になっている。


介護実習の参加は前にも書いたが、

知的障害のある利用者が「お母ちゃんに会いたい!」と泣き叫びながら壁に頭を打ち付けているのに遭遇した。

中学一年の時の自分と同じだと思った。


どうして良いのか分からないのだ。

母親に会いたいのに会えないジレンマ。行き場のない感情が出口を求めて爆発した結果なのだと思った。

多くの人は感情を知的に整理するのかと考える。しかし、その片付けが下手な人もいる。

我慢強く閉じ込めた結果、鬱病になってしまう人も多いだろう。私の場合は、障害のある彼と同じ出方をしていた。


壁や床に頭を打ち付ける

髪の毛を引きちぎる

目に指を押し入れる(自分でやってるもののこえーな、これ)

着ている服を引き破る


など(これらが常態化しないように、あまり思い出したくないのでこれ以上は書けない)。


このパニック(?)中は泣き叫んでいるのだが、これがまた激しい。

我ながら思うが「キチガイ」の類である。


これらの行為をこのように冷静に書ける自分がいるのに、何故、気が狂ってしまってどうしようもない自分を止められないのだろうか。甘えなのだろうか。


この発作(母と姉に発作と呼ばれているが、保健医と母しか見たことがない)は、定型発達の人間でも起こり得るようだが、発達障害者ではより起こりやすいらしい。


そう、決して幼少期からのものではない。

幼時は全て諦めていたように大人びていた気がするが、それは幼い自分を美化しているのか?


また、字が勝手にでかくなって、さも強調したいかのように振る舞うんだろうな、このブログのシステムは。