分からない
私の真逆だ。
グレーゾーンと言われるような人たちの多くは、生活上の困り事が多いのにも関わらず、自身を発達障害者と認めて欲しいとの希望があるにも関わらず、診断をされずに更に困っている。
医師のさじ加減一つで、人の一生が決まる。
グレーゾーンの人たちの気持ちは非常にすんなりと理解出来る。いくらドクターショッピングをしても発達障害の診断を受けられない人もいるのだから、それは辛いことだろう。何と言ってもその人達は困っているのだから。
それなのに何故診断されないのだろうか。
困っているなら診断してあげるべきなのでは?
薬を飲みたいと言うのなら出してあげたら良いのでは?
不正受給などの問題があるのなら、そういう人には手帳や年金についての診断書は不必要だと医者が断れば?診断がついただけで救われる人達が沢山いるように思う。薬も違う使い方をしていると判断出来れば止めたら良いだけなのでは。判断出来ない程度の診察内容なのか?
私が甘いのだろうか。
グレーゾーンの人たちの多くが、必要以上に福祉の力を求めて、薬を乱用する可能性を抱えていると?
診断を受けていても、必要以上に欲しがる人なんて沢山いるように思う。診断名に甘えているだけの人がいる。診断が下ったのをこれ幸いとばかりに、診断されない人を貶める人だっている。困り事が同じなら仲間だろ?
診断済みは特権階級とでも言うのだろうか。
生きていくのは同じなのに?
医者の診断というのはそんなに完全で完璧なもの?
…サードオピニオンに行く人間が既に医者の診断を疑っている…。ダメだな、こりゃ…。
だって仕方ない。
天下の大学病院でも、何故発達障害の診断が下せるのか私に分かるように説明してくれないのだから。
初対面で緊張もしているだろうし、3年間発達障害について調べているので、らしくあろうと発達障害者に寄せて行ってると疑っていると伝えているのだから、もっとニセじゃないかと疑って下さらないと!
困りごとが多い人には診断してあげないのに、何で私にはそんなに簡単に発達障害があるだろうと言えるの!?
こんなに、周りの人には「発達障害者には見えない」「スタッフ?」と言われているのに何で?
どこがそう見える?視線?演技だって!それは!
表情の無さも辛い思春期を経たせいだから!子供の頃は表情あったから!
直すから逐一教えて欲しい!
主治医に同様のことを言ったことがある。
発達障害だとしても、普通になれるように努力したいと。
そうしたら個性重視派のチリ毛は、普通にならなくて良いと言ったのだ。
何で??
普通になりたい!
例え、周囲の人に「発達障害者には見えない」と言われていても、発達障害が本当にあるのなら普通になるよう更なる努力を続けたい!発達障害のない同僚や友人に迷惑を掛けたくない、嫌われたくない!!
発達障害への知識がない人は私の発達障害が分からず、発達障害の専門家にはそうだと言われるのは何故か。
私が心を許しているから同僚や友人たちの前では発達障害の特性が出ない?それとも演じてない?
医者の前では、発達障害の特性が出る?演じている?
どうしたらまっさらな状態で、サードオピニオンに臨めるだろう?やっぱり仮面?