70通目
はー
自分に疲れる日々よ
今日の主治医に捧げる手紙は70通目。
様々なことが駆け抜けた2週間だった。
大学時代の恩師がこの3月に退官する。
2つ目の大学では日本史を専攻していた。研究室には古代史・中世史・近世史・近代史と、4人の教授がいてそれぞれのゼミを持っていた。
私の代はやけに近世史に偏った代だった。
古代史と近世史で迷ったのだが、古代史の院生が苦手だったので近世史を選んだ。
14人いる同期のうち、古代史1人、中世史0人、近世史9人、近代史4人だったか。
書いていて思ったのだが、1つ目の大学のゼミでは少ないからという理由で教授を選んだのだった。今振り返ると中世史の研究をしてみても良かったかも知れない。
近世史と中世史の教授は5年ほど前に退官した。
この時、まだ卒業してからそんなに経ってないからなのか、同期は大体参加したものだった。
それが、近代史の教授では同期の参加は2名。私以外の参加者は引越し先の東日本からの参加だというのに、仕事を理由にしても何とも薄情なことだと思った。自宅に招かれて食事も頂いたことがあり、スキーにも連れて行って貰ったのに、その記憶はあっても感謝には中々繋がらないものなのだろうか。無論、立派な社会人は3月は忙しいのだろうが…。
そういう振る舞いが自分にはよく理解出来ない。
さて、グループLINEとやらでも、行かないという報告のみで教授に電報を打つだの、プレゼントを贈ろうだのといった発言も無い。
散々待ったが、焦れてしまって私が提案してお祝いメッセージ動画を作ることになった。
すると時を同じくして教授本人からスライドショーを作って欲しいとの依頼。
二本立てでムービーを作ることになった。
更に月末月初が被り、負担が掛かっているところへ、仲が良い発達障害者仲間から障害者手帳を見せられた。
そして
「自分は持ちたいと欲していないのに周りが親切にも取らせた」
あなたとは違うという。
私は手帳を持っていない。
そうやって持ちたくも無いのに持っていることが立派な発達障害者の証しとでも言うのだろうか。自慢なのだろうか。
と思ってしんどくなった。
私は何?
こうしてパニックになり自傷が始まるのだ。今は冷静だが、頭や太ももを殴り、手を噛み、太い声で死ね死ねと喚く。
親が震えて泣いている。
どうせ私より先にいなくなるんだろ、
だったら産むんじゃねえよ
死にたくてたまらない
逃げたい、
自分からは逃げられない、
死ぬしか無い
救急車を呼ばれそうになったが、自傷発作と理性は数十秒おきに現れる。こうして夜中に喚き散らしてドンドン音を立てるという近所迷惑な行為をしているのに、救急車なんて来たら本当にキチガイに見られてしまう。
動画を作らなければならないのに、睡眠薬を飲んで風呂に入って無理矢理寝た。
翌日、どこにはけ口を見つければ良いのか分からないまま、市の発達障害者支援センターなるものに電話をして相談したところ、サードオピニオンの結果が出るまで対処できないということだった。
ふむ。つまり、似非なワケだな。
会社でも互助会が、私のいるフロアで会議を行う。笑い声。気の遣えない感覚の持ち主どもが、仲良しクラブで盛り上がっている。
会社辞めたい。
そういう手紙の内容だった。
先生からは、
対処方法を少し教えて貰った。
忙しくなったら優先順位を書き出すこと。体調が悪くなりそうだったらエビリファイの頓服を飲むこと。人といたら余計に自傷が酷くなるので、1人になって落ち着くこと。
そりゃこれ以外教えてもらう事なんてないよな…。
受付当番をしていた保険福祉士さんに、どこか相談するところがないか訊いてみたところ、自傷があるなら医療機関しかないという。
でも、医療機関に来てこうして相談してるけど、普通のアドバイスしかしてくれないやーん?
普通の病気だったらどんなに良かっただろう。自傷なんて甘えた根性なしが生み出した愚行に過ぎない。