今日の診察③
2週間おき、毎回木曜日の診察においての備忘録である。
先週の木曜日に仕事が入ったので、本日火曜日が診察日だった。
今日言われたこと。
「好意を持っていない相手と飲みに行ってはいけませんよ」
付き合いで飲みに行ってはいけないということか。これは常識なのだろうか?恋愛経験が少ないから分からないのか発達障害だから分からないのかもよく分からない。
主治医
「この2週間は平和に過ごせたようですね」
私
「平和は平和ですが、鬱っぽくて嫌です」
主治医
「何か楽しいことを探してください。人の為に行動するのではなく、自分が打ち込めることを探してください」
私
「そもそも楽しいことを探すエネルギーがないのですが」
主治医
「探してください。ハイ以上」
分かるよ。先生の気持ち。
そう答えるしかないよね!!それが精一杯だよね!!相手してくれるだけ先生は親切だ!
でも先生は医者なんだからさ!
そんな一般人でも答えられることを聞きに通院しているのではないんだからさ!
専門的な医者と一般人を一緒にするな、と主張するなら医者としてそれなりのこと言ってくれないとこちらも何の為に通院してるのだったかな、ハテ?となってしまうよ!
そして今日渡した手紙の中には、
「薬のせいで団信落ちたし、このままローンも通らないのかな?手帳や年金なり福祉援助を過剰要求する気持ち分かるー!」と書いていたのにも関わらず、それにはスルー。
えー!?
じゃあ薬やめてみましょうか、とか
残念ですがしばらく飲みましょう、とかそういう建設的な発言は無いっすか!!
薬を飲まなかったと書いたら、
だと!?
離脱症状の注意のみってことは、本当は飲まなくて良いってこと!?
飲まなかったのは単に診察日がズレたことで薬が不足していただけなのだが、わざと飲まなかったと思われたので、自分も焦って「いやいや、出されたものはちゃんと飲んでますよ」みたいに謎の弁解をしてしまったんだけれど。
改めて自問自答するが、これは飲まなくて良いということを指すのだろうか。
コンサータを飲んで、仕事上でのイライラ感が減ったのは確かに感じている(反動が凄いが)。私の助けになっているだろう。
その一方、社会的な枷にもなっている。
そもそもが、
「仕事が出来ないから」
「昔から変だと思っていて」
などといった理由で、積極的に発達障害の診断を貰おうと思って精神科に臨んだ訳ではない。
仕事が出来なくても、昔から人と違うところを感じていても何とか乗り越えて、周囲の人間関係に恵まれながら生きている。
自分に生きる価値は無く、かと言って死ぬ権利も無く、ただ漫然と自らの絶命を待つだけの人生である。
それが当たり前の感覚なのだから、もう精神科に通っても意味がないのだろうか?